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「高齢者の医療の確保に関する法律」という法律を知っていますよね?
平成20年に始まった後期高齢者医療制度の内容を定める法律ですが、では、この「高齢者の医療の確保に関する法律」の「公布」はいつでしょう?
これは、実は昭和57年なのです。

昭和57年8月に「老人保健法」という法律が成立し、公布されました。
その後、平成18年6月に公布された「健康保険法等の一部を改正する法律」の規定により、「老人保健法」の内容が改正され、法律名も「高齢者の医療の確保に関する法律」に変更されました。
つまり、「健康保険法等の一部を改正する法律」という別の名称の法律が公布・施行され、それによって「老人保健法」の内容と法律名が変更されて「高齢者の医療の確保に関する法律」になり、後期高齢者医療制度が平成20年にスタートしたのです。

このような形で法律が新しくなる場合は、別の法律(改正法といいます)によって改正されますから、改正される側の法律(被改正法といいます)は、新たな公布を経ません。
このため、「高齢者の医療の確保に関する法律」の公布日は、その前身である「老人保健法」の公布日である昭和57年8月のまま、なのです。

法律の改正の多くは、この形です。
改正法が成立・公布・施行され、その被改正法としていくつかの関連する法律が改正されるのです。法律名まで変えられてしまうのはわりと珍しいですけどね。
何度も書きますが、この場合、被改正法は既存の法律のまま改正されますから公布を経ません。
この時に被改正法の名称が変わったとしても、それは従前からの法律の名称が変わっただけで、新たな法律の公布ではありません。
あくまで公布・施行された改正法によって、被改正法が改正されただけです。

この場合、改正後の条文は、改正法と被改正法を組み合わせたものになります。(改正後の条文が官報に載るわけではない)
この、改正法と被改正法を組み合わせる作業を、俗に「改正法を被改正法に溶け込ませる」といい、我々が六法やe-Govで見る法律は、この溶け込ませた後の条文になります。
そして、溶け込ませるときに、行き場がなくて残ってしまう経過措置等の条文が「改正法附則」として法律の最後に継ぎ足されます。



昭和19年10月に労働者年金保険法が厚生年金保険法になったのも、この改正法による労働者年金保険法の部分改正です。このため、厚生年金保険法になった後も、法律の公布日は昭和16年のままでした。



この改正法による改正に対し、全く新たに同じ目的の法律が成立し、公布される場合があります。
昭和29年5月の厚生年金保険法の改正は、「厚生年金保険法」という名の新たな法律が成立し、公布されました。そしてその序文は、

-------------------------------------
厚生年金保険法をここに公布する。

 御名 御璽

 昭和二十九年五月十九日      内閣総理大臣 吉田  茂

法律 第百十五号
厚生年金保険法
厚生年金保険法(昭和十六年法律第六十号)の全部を改正する。
-------------------------------------

で、始まっていたのです。
「厚生年金保険法(昭和十六年法律第六十号)の全部を改正する」の部分に着目してください。

この場合も改正法が厚生年金保険法(昭和29年法律第115号)であり、被改正法が厚生年金保険法(昭和16年法律第60号)なのですが、改正法が被改正法のすべてを書き換えているため、昭和16年の被改正法は廃され、昭和29年に新たに公布された改正法だけが残ります。

そして法律名が「厚生年金保険法」で同じのため、今の時代から見ると、「厚生年金保険法の公布」は昭和29年ということになります。



これに対し、昭和60年の、いわゆる「新法」の国民年金法、厚生年金保険法等の改正は、「国民年金法等の一部を改正する法律」という改正法が成立、公布、施行され、国民年金法、厚生年金保険法等が被改正法となってそれらの一部が(しかし大規模に)改正されました。

このため、いわゆる「昭和60年新法改正」は、非常に大きな制度改革であったにもかかわらず、国民年金法の公布日は、今でも昭和34年であり、厚生年金保険法の公布日は、今でも昭和29年のままです。



お解りいただけたでしょうか?

「公布」とは、新たに成立した法令の内容を国民に周知する行為です。特に憲法改正、法律、政令、条約の公布は、天皇の国事行為になります。

「改正のために新たに成立した」法律(改正法)が公布され、その内容が従前の法律(被改正法)の全部の改正であるなら、被改正法は廃され、改正法だけが残ります。
この場合に、改正法と被改正法が同じ名称なら、あたかも「法律の公布日が変わった」ように見えますが、改正法と被改正法は別の法律(法律は名称ではなく成立年と法律番号で識別される)ですから、これは改正法と被改正法の法律名が同じである事による見かけのできごとに過ぎません。

しかし、「改正のために新たに成立した」法律(改正法)が公布され、その内容が従前の法律(被改正法)の全部の改正ではなく、その一部(場合によっては名称も)を書き換えるものである場合は、被改正法は改正法により内容が書き換えられるだけです。公布されるのは改正法ですから、被改正法の公布日は変わりません。

つまり、公布日を正確に判断しようと思うなら、改正の経緯を知らなければならず、単に「ある名称の法律が新たに出てきたから公布」で判断してはダメな場合がまれにあるのです。



今回苦しんでおられる箇所に限って言うなら、キーワードは「改称」です。
「厚生年金保険法」が新たに成立し、公布されたなら「改称」ではないでしょう?
昭和29年が公布かどうかは判断できなくても、昭和19年が公布ではないことは判断できるはずです。

参考になった:4

poo_zzzzz 2018-07-20 09:56:48

poo_zzzzz様

大変わかりやすいご回答をありがとうございます。

よくわかりました。

>昭和29年5月の厚生年金保険法の改正は、「厚生年金保険法」という名の新たな法律が成立し、公布されました。
これについて、恥ずかしながら全く知りませんでした(だから、今回の質問になるのでしょうね)。

厚生年金保険法はまさに『単に「ある名称の法律が新たに出てきたから公布」で判断してはダメな場合』に当たるということなのですね。

そして、「改称」というキーワードのことも、ご教示ありがとうございます。昭和19年が公布ではないことが判断できますね。

これでもう二度と間違えることはないです。

この度は、誠にありがとうございました。

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smile2480  2018-07-20 10:40:38

> 昭和29年5月の厚生年金保険法の改正は、「厚生年金保険法」という名の新たな法律が成立し、公布されました。
> これについて、恥ずかしながら全く知りませんでした(だから、今回の質問になるのでしょうね)。

労働者年金保険法は昭和16年という戦時体制下で成立・施行された法律であるため、成立の経緯等によく分からないことが多いのです。労働者の生活の安定と老後保障を目的としていたのは確かなようですが、同時に若年労働者から保険料を徴収することで長期間固定的に運用できる資金を確保し、可処分所得を減らし、インフレを抑制するという戦時体制に沿った目的があったことは否めないからです。

戦後の経済崩壊とめまぐるしいインフレにより、労働者からの保険料徴収は困難になり、また、戦後10年を経て、「まだまだ先のこと」とされていた老齢の給付についても現実的な手当が必要になり、労働者年金保険法を前身とする厚生年金保険法は、抜本的な見直しが必要になりました。

このため全く新しい法律として厚生年金保険法(昭和29年法律115号)が成立し、それによって厚生年金保険法(昭和16年法律60号)の全部が書き換えられることになりました。

そういった歴史的な経緯が掴めてくると、単に事柄を「知っている」「知らない」の問題ではないので、「覚える」ようなことでもなくなりますよ。

参考になった:2

poo_zzzzz 2018-07-20 14:40:43

poo_zzzzz様

さらに詳しく説明いただき、ありがとうございます。
労働者年金保険法は、戦時体制に沿った目的があったというのは、どこかで読んだ気がしますが、
それがうまく繋がっておらず、この度のpoo_zzzzz様のお返事で腑に落ちました。

歴史的経緯が分かっていれば、戦時中である「昭和19年10月」は真っ先に排除なのですよね。

丸暗記するしかないのか…と、うんざりしていたのですが、そうではないことを教えていただき、
ありがとうございました。

質問させていただいて、よかったです。

ありがとうございました。

投稿内容を修正

smile2480  2018-07-20 15:17:08



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