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/ブランクが空いてしまった
sunaarasi 2016-07-09 15:30:40
過去2回司法書士試験を受けたが、択一の解答が天秤ばかりだった。そして、3回目の受験を目指して答練を受けたが、答練に於いて何回も天秤ばかりの解答となった為に、本試験でも天秤ばかりになるのではないかと考えてしまった結果、3回目の本試験を受ける事無く今日にいたってしまいました。平成26年の本試験から2年のブランクが空いてしまいましたが、もう一度司法書士試験に挑戦したいと言う想いに至り投稿した次第です。今回御校に質問したい事は、御校の講座についてと勉強法についてです。御校の講座には、初級と中上級の講座があると思いますが、ブランクが空いてしまった場合、もう一度初級に立ち帰っても良いのか、それとも、中上級から始めた方が良いのかと言う事と勉強法についてどの様な事を行なえば良いのかと言う事を教えて頂きたいと思います。
では、宜しくお願いします。
sunaarasiさん、こんばんは。
まず、何をやるべきかの選択は、7月の本試験時点で、何が仕上がっていれば良いのかというところから考えます。
①過去問 ②一問一答・極答練 ③テキスト
この3つということになります。
3つの内容を理解し、かつ、記憶として頭に入っていることが合格の条件であり、また、これが満たされている以上、必ず合格できます。
そこで、すべての講義は、自分の中でこの3つを完成させるための手段だということになります。
ゆえに、その時その時の自分のレベルと(勉強時間を中心とした)環境と相談しながら、講義をセレクトしてください。
中上級講座の特徴は下記の通りです。
中上級インプット講座は、「基礎リカバリー編」と「応用論点編」に分れており、2回転させる形式になっています。
①「基礎リカバリー編」は、基本的に初級講座とレベルは同じで、知識量を増加させることが目的ではなく、全体の繋がりと知識の横断型整理に重点を置いた講座です。
②「応用論点編」は、過去問では対応できない未出の論点(条文・判例・先例・学説・登記研究等)について、これまでの出題実績・データに基づいて知識を拡大していくための講座です。
特に民法と不登法は、極テキストの中に点線で囲まれた発展論点が多く含まれていますので、「応用論点編」ではこの部分を中心に講義をしています。
それ以外の科目では、①と②で「難易度」という点ではそれ程大きな差はありませんが、過去問を超えるプラスαの情報を解説していきます。
ただ、どの科目も全体を掴むということ、どことどこが繋がっていて、特にどの部分を比較して理解し、覚えていけば良いのか、
これは非常に大切なことですが、自分で少しずつ勉強しているとなかなかこれを自分のものにすることができません。
これらを提供してくれるのが、中上級のインプット講座です。
特に会社法や商登法では、知識の繋がりから得られる実益は大きいものと考えます。
初級講座でモヤモヤしていた知識が一気にこの講義を聴いて繋がってくるということがあるはずです。
その反面、講義回数は絞り込んであるため、講義内では説明しない部分も多くあり、自分で復習の際に読み込んで行く必要があります。
そこについても講義での説明を求められるのであれば、「基礎編」から受講して下さい。
というように、それぞれの講義には目的・ねらいが異なっているため、先に述べたとおり、その時点でのご自身のレベルと(勉強時間を中心とした)環境に合わせて、講義をセレクトしてください。
ただ、講義の受講は、①過去問 ②一問一答・極答練 ③テキストを完成させるための一つの手段であり、手助けです。
もちろんその役割は大きいですが、最終的に「完成」の域までもっていくのは、自分がいかにチェックを繰返し、一つ一つの記憶を確かなものにしていけるか否かにかかっています。
「講義の受講=完成」なんてことは、絶対にあり得ません。
答練や本試験を受けるに従って段々と正解に天秤が出てきてしまう、というのは、正解に迷いが出てくるとの意味だと思われますが、それはある程度、勉強が進んできたことと、かつ、登り詰めていないことの表われです。
厳密には、一切の迷いがなくなるなんてことは、永遠にやってこないともいえますが、要は合格点を叩き出すレベルにまで登り詰めるかどうかが勝負です。
「合格に必要な材料を、ただひたすら一つ一つ潰していく(理解し、かつ、正確な記憶にしていく)」
自信を持てるようになるためには、そして、確実な合格を手に入れるためには、これ以外に方法はないと私は考えています。
しかし、私たちにとって、まず見つめ直すべきは、方法論ではなく、自分自身ではないでしょうか。
本試験を受験しなかったというのは、自分がこの1年勉強してこなかったという事実を突きつけられるという恐れから来るものではないですか。
その事実から逃避するために、「まだ・・・だから」という哲学をいつも自分の中に築いているのです。
そして、「勉強法」分からないというのは、勉強を先延ばしにするための哲学です。
たとえば、子供におもちゃを与えた時に、その子供は「どうやって遊ぶのか教えて下さい。」と質問するでしょうか。
きっと、子供は奪うようにそれを手にして、自分の思うままに遊び始めるでしょう。
それは、そこに猛烈な興味と関心があり、抑えきれない衝動があるからです。
もちろん、「方法」や「効率」を考えることは、受験勉強にとって極めて重要であり、私はみなさんと一緒にそれに取り組んでいるわけです。
しかし、それらは「手段」にすぎません。
そして、それが「手段」として活かされるのは、心に熱く込み上げるものを持っている時だけなのです。
それは、人から勉強方法を教えてもらうことによって生じるものでは決してありません。
私が提案する方法に「ああ、その通りです。私もその方法でやります。」と言ったところで、所詮は私の作り上げた一定の枠の中で、気力もなくノルマをこなそうと思っても、途中で身も心も疲れ果ててしまいます。
それが毎年繰り返されるのです。
本当の気力やエネルギーは、そこから湧いて来ることはないのです。
これらが込み上げてくるのは、子供のような「無拓の心」を持つときです。
「失敗したらどうしよう。」「時間やお金が無駄になったらどうしよう。」
子供は、そんな不安を抱えて遊びを始めるでしょうか。
私の意見に従わず、誰の意見にも従わず、誰の奴隷になることもなく、自分へのイメージ、他人へのイメージ、資格へのイメージ、一度それらをすべて脇に追いやって、完全に心を解き放って、そこに湧き上がる自分の情熱を見つめて下さい。
そして、その時にこそ、私の講義を存分に利用してください。
講師 小泉嘉孝
参考になった:32人
koizumi 2016-07-10 22:36:56
小泉先生、今晩は。5カ月以上返信する事が出来なくて申し訳ありませんでした。返信内容を読み、自分の中で咀嚼しました。自分の答えとしては、もう一度基礎から勉強しようと思います。
小泉先生、有難うございました。参考にします。
sunaarasi 2016-12-01 20:12:17